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阿蘇海に魅せられた鮨職人
豊かな自然、魚介、歴史-。丹後の魅力を包む『鮨 坐忘』

明石洋一さん

2024.11.07

#たべる #移住者 #Bエリア_日置_府中

Bエリア_日置_府中

アメリカ・東京で食通の舌をうならせてきた鮨職人の明石洋一さん。豊洲市場に通い始めて丹後の魚介を知るようになり、その可能性に魅せられました。縁あって2020年に宮津市へ移住し、現在は日置地区、リゾートマンションの多いエリアの一角にのれんを構えています。食を通じて丹後の海の魅力を伺いました。

暖流魚と寒流魚が集う若狭湾の魚介が集う海

――サケにイワシ、コノシロと、次々に握られていく地元産の鮨はつやつやと輝きを放っています。丹後の魚介類に可能性を感じたのはいつでしょうか?

東京の西麻布で仕事をしていた時、毎日豊洲市場に買い出しに行っていました。そこで懇意にしている魚屋さんが丹後地域の魚を取り扱っていました。ウナギや、オニエビ、カイワリ(仲間)など、魚種が豊富ですごいところだなと感じていました。

――宮津へ移住するきっかけは何だったのでしょうか?

「マグロ vs. 牛肉」という取引先のマグロの仲買人が開催するイベントにマグロを提供する側で参加しました。その後、牛肉を扱う業者さんから宮津市の事業者さんを紹介され「宮津で鮨屋を開きたいので来ないか」と誘われたことがきっかけです。

――いつごろ移住を決めたのですか?

2020年2月に見学して、4月には移住しました。

――すごいスピードですね!

当時は新型コロナウイルスが流行し始めていて、東京で感染が広がるとどうなるか分からないという不安もありました。子どもが中学校へ入学するタイミングでもあり、移住を決めました。

――実際に宮津へ移住し店を構えて、地元の魚介を使ってみてからの印象はいかがですか。

全く違いました。本当に違います。何というか、若狭湾の魚介は鮨ネタとして最上です。食材が豊かだな、とも感じました。こちらに来て分かったのですが、北方の魚が捕れたと思えば、南方の魚も捕れます。そこに一番の魅力と可能性を感じました。

――「こんな魚も捕れるんだ」といった驚いた魚介はありますか?

たとえばサケ。サクラマスもこの辺で捕れると知りました。あと、阿蘇海のウナギです。天然のウナギを安定してとれる場所は日本でも少ないんですよ。場所も、河川に近いところに限らずさまざまな場所で捕れるそうです。ただ、最近ではウナギを捕る漁師が少なくなっていまして、少し存続の危機を感じています。僕はウナギが好きなので……。

天橋立の内海、阿蘇海でうなぎが獲れるのをご存知のかたは少ないのではないだろうか

――これは、何としても漁師さんたちに続けていただくしかありませんね!
ところで『坐忘』という店名の由来は何でしょうか?

社長が決めたのですが、由来はいろいろあるが、古代中国の書物「荘子」の一文から引用していて「我や雑念を捨てて今を楽しむ」という意味も込められているそうです。

――店名の通り、一度カウンターに座り、食事が出来上がるのを待ち、味わうひとときと、明石さんの丹後愛溢れる語りは、日々の憂さや嫌な出来事を全て忘れさせてくれて、今か今かと待ち望む次の一品と、その食材の物語に五感が引き込まれました。

握る程に知る食材の可能性。良さを最大限引き出すため、日々精進。

――今のお店を構えて3年。新たな気づきはありますか?

日々、学びが多いです。新たな発見もあります。シラウオが捕れるというのも去年知りました。また、与謝野町の合同会社「京都よさの百商一気」さんが食用のオオシマザクラを育てているというのを聞き、取り入れさせてもらいました。食材の豊かさを次から次へと発見できて、とても楽しいです。

――特に阿蘇海への思い入れが強いようですが、理由は何でしょうか?

先ほど触れたようにウナギが美味しいというのと、青魚系もよいからでしょうか。イワシやコノシロ、サバ、ヒイラギ。同じ魚でも他の海で捕った魚とは全く違います。たとえば、イワシは表面が金色に輝き脂と身のバランスは他にありません。サバも普通、生で食べる機会はないと思うのですが、旬の時期のサバは殆ど手を加えず握っています。

――どうしてそれが可能なのでしょうか?

鮨ネタを仕入れさせてもらっている漁師の村上純矢さんのおかげです。捕れたての魚を適切に処理してくれています。コノシロもその処理のおかげで身が透き通っています。お客様の目には触れられませんが、村上さんが見えないところで努力してくれて食材の良さと可能性を高めてくれています。

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タイミングによっては金樽鰯が出てくることも

――一方、阿蘇海は広くないので日によっては使いたい魚を入手できない時もあるのではないでしょうか。

そういう日もあります。でも、そういった場合は漁師さんから先に連絡をいただいて、出せるネタを卸させてもらっています。

――漁師さんとのあうんの呼吸を大切にされているのですね。料理を出す順番もこだわっていますか?


こだわっています。普通、サケを鮨ネタで出すということはありません。サケは、回転寿司で人気のサーモンとは違う魚なんですよ。あれはアトランティックサーモンといって、日本のサケ・マス類とは違う種類なんです。そこで、最初にサケ、時期によってはサクラマスを出して「この土地でこうした魚が取れるんですよ」という意外性に驚いてもらい、さらにはおいしさを知ってもらいます。2貫目以降は光りものを出しています。地元のネタを4種類くらい立て続けに。

取材時、にぎりの最初にでてきたのは丹後であがった鮭の松前漬け。

――(京丹後市)網野町で水揚げされたマグロも印象的でした。

あれは、たまたま入手できたネタでした。もう少し小さなマグロなら手に入るのですが、今回食べてもらった80キロサイズのものはなかなか手に入りません。ラッキーでした。

――お店を訪れてみないと出会えないネタもあるのですね!

基本はだいたい同じですが、シラウオといった旬のものだったり、産地の違うウニをそろえたりするのは時期によります。ホームページではコース15品と告知していますが、通常20品は超えます。その時の丹後の海の幸を目一杯味わって頂きたいので笑。

――シラウオの他、四季折々の食材を挙げるとしたらいかがでしょうか?

春になるとハマグリ、アオバサミという青いワタリガニ(タイワンガザミ)、宮津湾ではクルマエビやコウイカが捕れます。夏は天然トリガイ、あと去年はハモも捕れました。大型のハモの骨を抜いて鮨で提供しました。ハモの湯引きとは一味違います。

アオバサミも地元ではあまり流通しておらず、地元の人でも知らない方がいるのでは?

――ハモも捕れるのですね!ネタによって、握り方も変わるのでしょうか?

はい、ネタによって硬さも食感も違いますので。イワシはあの大きさや脂分がちょうど良く、外海のイワシだと脂が多すぎでシャリとの一体感をあそこまで生み出せません。

――お米はどこの産地のものを使っていますか?

上世屋の小山愛生さんが育てているお米と、山を隔てた京丹後市大宮町延利の農家さんのお米をブレンドして使っています。最初、ネタに馴染む米がなかなか見つかりませんでした。あと、無農薬の物を使いたかったのですが、そこで小山さんが引き受けてくれました。上世屋で自生しているブナ林から世屋川へと流れ出た養分で育っているためか、他の米と比べてうま味が違います。

考古学とアメリカに憧れ、古代丹後の歴史にはまる。

――明石さんが鮨職人を志したきっかけは?

元々、中学を卒業してすぐに日本料理店に就職したのですが、そこの親方が海外志向だったんです。その店はロサンゼルスに二つ支店があって、二十歳になって渡米しました。僕自身、昔からアメリカに興味がありました。洋楽が好きでしたし。

――アメリカへは何年間くらいいたのですか?

数回行き来し、合わせて15、6年間ほどです。当時、日本の魚介が現地へ流通されるようにもなり、寿司がブームになっていました。チップの文化があり、カウンターで鮨を握るとチップをもらえたんですよ(笑)日本料理だとカウンターに立つことはないので、そこで鮨職人になろうと決めました。アメリカは自由で大きなまちでした。一生懸命頑張ればアメリカンドリームがつかめるのではないか。そんな雰囲気もあり、永住も考えました。実際に永住権も取得しました。

意外な経歴で鮨職人となった明石さんに見せていただいた、こだわりの卸金には”わさび”の文字が

――明石さんは古代史にも興味があり、卑弥呼研究をライフワークにしているんですよね。

考古学者に憧れていました。アメリカにいた時もその思いは変わらなかったのですが幼少時に「お金にならない」と言われて諦めました笑。

――ミステリーを解き明かす感覚が好きなのでしょうか?

そうです。

――阿蘇海も小さな湾に豊富な魚種という奥深さがあります。そのミステリアスさにも引かれたのでしょうか?

はい、阿蘇海って、魚種も豊富で天然のいけすみたいなんです。古代人にとっても阿蘇海で動物性のタンパク質を取れていたのだと想像しています。だから、古くから文化が栄えて古墳もあります。衣食住が備わっていないと人間の営みは続いていかないと思いますし、阿蘇海とその周辺はその豊かさを現しているのではないでしょうか。そして、そうした雰囲気を今も残しています。たとえば、半農半漁とか。

――阿蘇海は魚介も歴史も豊かで奥深いですね!そんな中でも取り扱いたいネタはありますか?

クロクチという貝がおいしいと聞くので、ぜひ試してみたいですね。

「京都の海」もっと海外に知ってほしい。

――今後の展望はいかがでしょうか。

僕自身、アメリカにいたので外国人の方にも来てほしいです。最近では(舟屋で有名な)伊根町には外国人観光客も増えて来ているようですが、宮津にも来てほしい。そうなると、受け入れる体勢もちゃんしないといけないし、クリアしないといけないこともあると思います。京都には海があり、魚介類も食べられるというのを海外の人にも、もっと知ってほしいです。京都というブランド、その名前のインパクトは強い。海の京都と呼ばれる丹後、宮津まで足を運んでもらい「遠くまで食べに来てよかった」と思ってもらえる逸品で迎えたいです。

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