#まなぶ

考える力は生きる力
明日を拓く力を身に着ける「Madpamp dance school」

中野舞さん

2022.05.07

#まなぶ #移住者 #Dエリア_吉津_宮津

Dエリア_吉津_宮津

大阪でダンサーとして活躍していた中野舞さんが主宰する「Madpamp dance school」。アーティストの振り付けやバックダンスを担当していた経験を活かし、笑いを交えつつも熱心な指導を行っています。舞さんが見据えているのは、常に子どもたちの未来。レッスン内容や方針にについてじっくり伺うと、指導を通して本当に伝えようとしていることが見えてきました。

小学生からスカウトされ開校へ

――SNSでレッスン風景を拝見しました。皆さん、すごくかっこいいですね。

ありがとうございます。今は、宮津地区と舞鶴の2拠点で、Hip-HopやK-popといったストリートダンスを教えています。習熟度にあわせて超入門、入門、初級、中上級とクラスがあり、4歳~20代の生徒が通っています。学生さんが中心ですが、社会人もいますし、以前は還暦を超えた方もおられました。

――大阪時代から指導者をなさっていたんですか?

はい、「Kyabe」という名でダンサーとして活動する傍ら、依頼があればスクールでも指導していました。今、当時の教え子たちがプロアーティストとしてデビューしたり、テレビCMに出演したり頑張ってくれています。
ただ、結婚を機に宮津へ来た当時は、スクールを開くつもりはありませんでした。嫁ぎ先の家業である花屋との両立が大変だし、「ダンサー」と言うと派手な世界をイメージする人がたくさんいます。自分が人生かけて打ち込んできたものを、勝手なイメージで噂されるのは嫌なので、スクールを開くにしても、家業と関係ない宮津以外のエリアにするか、もし宮津なら、まず3年は家業に専念し「ここのお嫁さんなら大丈夫!」と周囲の信頼を得てからだと決めていました。

――実際には、どういう経緯で開校に至ったんですか?

結婚後、舞鶴で開催されたダンスバトルに出場した時、参加していた小学生から「こんなダンス、見たことない! 私たちにも教えてください」ってスカウトされたんです。当時、まだ家業に専念していた時期で断ったんですが、その後も熱心に声をかけてくれて。一時、私が京丹後市のダンススクールで指導していた時も、舞鶴から車で片道1時間かけて毎週通ってくれました。その姿を見たら、「こんなに真剣にダンスしたい子がいるなら、本気で教えよう!」という気持ちになり、2016年に舞鶴で、その3年後に宮津でスクールを開校しました。

通い続けて、今はレッスンを担当する生徒さんも(写真はMoekaさん)

自分で考え、答えを見つけるワクワク感

――レッスンの様子を教えてください。

私のレッスンでは、生徒が自分で答えを見つけるよう指導します。普段、振り付けを一通り教えたら、「じゃあ、強弱をつけてみよう」「音楽に合わせて踊ろう」と課題を出し、どうすればカッコよく見えるのか、観ている人に伝わるか、自分で考えながら練習させ、その中から数人を選抜し、今度は自分と何が違うのか観察するよう伝えています。
もちろん、個々の上達に合わせてポイントとなることはしっかり抑えますが、自分のものにするのは生徒自身ですから。こちらは言い過ぎないこと。努力の過程をじっくり見守り、練習の成果が出た時に「良くなったよ!」と声をかけるようにしています。

――受講する子どもたちの反応は?

もう、踊っている時の表情がキラキラしているんです。たぶん、今まで大人が先に答えを教えてしまい、自分で考える経験が少なかったんでしょう。最初は自分を表現できなかった子も、レッスンを重ねるうちに自分で動きを見つけられるようになりどんどん表情が変わっていきます。

――子どもたちも手応えを感じているんでしょうね。

ワクワク感があるんだと思います。親御さんも、「ここまで自分で考えられるとは思っていなかった」「家でも自分から練習しています」と驚いています。
本来、子どもはみんな、考える力を持っているもの。こちらが一から十まで言わなくても自分で習得しますし、「FRONT LINE」や「RUNUP DANCE CONTEST」、「TOP OF THE DANCE」のようなコンテストに出場すれば、みんな入賞し、ちゃんと結果を残しています。

発表会のリハーサル中、子どもたちに目線を併せて指導する姿が印象的でした。

ダンスを通して、本当に伝えたいこと

――生徒さんはみんな、プロのダンサーを目指しているんですか?

いえ、ストイックに上達を目指す子もいますし、「体を動かして楽しく踊りたい!」という子もいます。うちは基本的に「プロを目指すために、他のことを辞めてダンス一本に絞れ」とは絶対に言いません。そうではなく、「うちで練習し考える力を身に着けたら、将来どこへ行ってもやっていけるよ」と言っています。だから、みんな勉強や他の習い事と両立していますし、「こういうことをしたいから大学でこんな勉強をします」と、自分の将来をちゃんと考えている子が多いです。

――なるほど、考える力はダンスに限らず、生きて行く上でいろんなところで役立ちそうですね。

結局は、自分の人生。思い通りにならないからと言って、誰かのせいにしても仕方ありません。自分で解決できる力をつけないと。

――ダンスを通して、将来生きていくための力を身に着けてほしいということですか?

そうですね、舞鶴でダンスを教え始めた当初、子どもたちから「田舎に住んでいるから夢が叶えられない」という言葉を聞き驚きました。何でもすぐ「仕方ない」と片づけてしまうところがあって。
でも、自分たちだって1時間かけて京丹後市までレッスンに通うガッツがあるんだから、環境のせいにせず努力することを覚えてほしい。レッスン中、自分で考えることに重点を置いているのも、そういう思いがあったからなんです。

――たしかに、子どもの時から何でも諦めてしまうと、自分の可能性を狭めてしまいますね。

でも、これって結局、周囲の大人が言っていることなんです。だから、子どもたちもマネしてしまう。でも、本当にやりたいことであれば、どこにいたってできるし、何としてでもできるように努力するもの。私だって、宮津で暮らしながら、大阪時代の振り付けやバックダンスの仕事をいまだにさせてもらっています。自分が「やってやる!」と思えば、場所は関係ありません。

コロナ禍を経て明確化した、次世代への思い

――開校してから6年。生徒さんもかなり成長したのでは?

はい、みんなどんどん上達し、指導者として活躍している子もいます。特に舞鶴校の子は中高生でダンス歴が長いので、宮津校の小学生の良き先輩になっているようで、今年の2月22日、全校生徒を集め「Curtain call」という発表会をした時も「舞鶴校の人たちみたいにかっこよく踊りたい!」ってみんな大興奮でした。

「Curtain call」のリハーサル風景。

――教室主催で、イベントも開催されているんですね。

オミクロン株の流行で、今回は家族向け発表会になりましたが、本来は有名なダンサーを呼び、宮津市周辺のスクールも集め、総勢約80名が出演するイベントにするつもりでした。コロナ禍でダンスイベントが次々と中止される中、一生懸命練習に励む子たちにパフォーマンスの場を作ってあげたくて。
それに、このイベントが定着すれば、参加者が宮津に足を運ぶ機会ができるし、会場で地元の飲食店さんに出店してもらい売上に貢献することもできます。

――それは、町の活性化につながりそうですね。

他にも、宮津の町並みを背景に子どもたちが踊る映像を撮影し、SNSで発信しているんです。子どもたちにとっては発表の場になりますし、観光とは違う形で宮津市のPRになればいいなと思って。

――レッスンの枠を超え、いろんなことに取り組んでいるんですね。

はい、この2年、コロナ禍で自粛せざるを得ない状況になり、私なりにできることを模索し勉強もしてきました。
もともと私は、いつまでもスクールで指導するつもりはなく、生徒たちにどんどん自分を追い越し、後を継いでほしいと思っています。ただ、こういう自然災害が発生すると、今のように専用の練習場がなく、鏡を置く場所も状況では、スクールの存続すら難しくなってしまいます。
そこで今、レッスンに使ったり、レンタルスペースとして活用したりできる「建物」を造れないか考えているんです。このあたりは大学進学を機に町を出る子が多く、そのまま都心部で就職するケースも少なくありません。でもスタジオがあれば、今のスクールの生徒たちが大学卒業後に宮津へ戻り、私の代わりに後進を育成したり、リモートワークで振付師として働いたりすることもできる。単に「踊る場所がほしいから建物を!」ということではなく、若い人がこの町で働ける仕組みを作れば、彼らが戻ってくる理由ができ、今ほど過疎化が進まないんじゃないかって。まだまだ夢のような話ですが、今後、行政のサポートを得ながら実現できる形を探るつもりです。

――宮津でダンサーとして活躍する人がいれば、生徒さんにとっても良い刺激になりそうですね。

次世代を担う子どもたちには、どんな場所でも自分で考え道を切り拓いていける人になってほしい。「Madpamp dance school」が、そういうことを伝えられる場になれればいいなと思っています。

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