#くらす
毎日違う光景をみせる阿蘇海で、進化し続ける漁師
村上純矢さん
2022.12.07
天橋立の内海側“阿蘇海”に面する府中地区では、舟屋が立ち並ぶ昔ながらの漁村の風景が残っています。そんな地で子供のころからおじいさんの船に乗り込み、漁のことを学んできたという、漁師の村上純矢さん。海のある景色が当たり前の環境で暮らしてきた村上さんの生活について、お話を伺いました。
獲るだけではなく品質を高めるために
――すごい!家のそばに船小屋があるんですね。この魚はなんていうんですか。
これはスズキですね。今朝獲ったものじゃないんですけど、2匹とも別の締め方をしていて、食べ比べしてみようかなと。
――締めるっていうのは、神経締め(※)のことですか。
1つは普通の神経締めで、もう一つは渦巻処理っていう方法。詳しいことは言えないんですけど、これをすると身の持ち方がはるかに違う。プラス5日くらい伸びますね。これは東京の飲食店にも卸してるんですが、めちゃくちゃ評判良いですよ。
※神経締め…魚の鮮度を保つためにおこなう作業
――処理の方法で魚の持ち方が変わるんですね。勉強になります。
僕は19歳の秋から漁師をしてるんですけど、次の年の秋くらいにスズキがぼこぼこ揚がる大漁だったんです。でも、11月になると阿蘇海の外で揚がるようになっちゃって、市場での値段が10分の1くらいになったんです。これはやばいな、と。僕らは1日に10キロ、15キロの世界。何トンも水揚げする外海の漁師とは、物量ではどうしても勝てない。だから、差を付けるには品質をもっと高めていくしかないと、そう思ったんです。
この辺で神経締めをやってる漁師はいないんじゃないかな。手間もかかるし、市場での値段も大して変わらないし。ただ、値段は変わらないけど評判はすごくいいんです。うちのクロダイやったら使うって言ってくれてる人がいるのはうれしいですね。
子供の頃から当たり前に海があるくらし
――村上さんが漁師を志したのはなぜですか?
漁師しかできなかったから(笑)。うちのじいさんの、そのまたおじいが漁師だったらしいです。だから、たどれるだけで、僕で5代目か。漁師になろうと意識していたわけじゃなかったけど、小さな頃からじいさんの船にはずっと乗ってました。3歳から乗ってるらしいです。まあ、子どもながらに楽しかったんでしょうね。
そもそも、学校が好きじゃなくて、小学生のころもほとんど行けていなかった。だから、毎日じいさんの船に乗って、いろいろな漁の仕方を教えてもらいました。本当に毎日だったから、目で見て覚えるとかってレベルじゃないです。僕の中に、当たり前に海があった。記憶があるころから、この船小屋、この船。ずっとこの景色です。
――まさに、漁師の英才教育ですね。
はえなわ漁と一本釣り以外は全部教えてもらいました。昔の阿蘇海って、アサリとクロクチ(オオノガイ)を獲ってるだけで年収500万円くらいあったらしいんです。今は、どちらも全く取れなくなってしまいましたけど。だから、貝漁以外の漁はあまりできない人が多いんです。なのに、うちのじいさんはなんでもやっていた。トモブトっていう木造船に乗って。いろいろ、新しいことにチャレンジする漁師だったんじゃないかと思いますね。
――村上さんは、今はどんなものを獲っているんですか?
網で獲ってるのはヒイラギとかクロダイとか。スズキははえなわ漁で、多く取れそうなら一本釣りです。あとは、ハマグリ、ワタリガニ、イワシ。11月まではウナギ漁もしますし、ナマコとかアサリの養殖もしています。阿蘇海でこれだけの漁をやってるのはうちだけです。
――それじゃあ、毎日忙しいですよね。
うーん、まあ、別に休もうと思ったら休めますし。でも、仕事は早いんで、ぶっちゃけ寝たいですよ(笑)。最近は毎日6時半には漁に出ますし、イワシ漁のときは深夜の2時くらいに出ることもあります。ずっとこういう生活リズムなんで、たまには目覚ましをかけずに寝てみたいなとは思いますね。
あと、ナマコ漁が始まったらプレッシャーで眠れなくなることもあります。そこで年収の半分を稼がないといけないんで。漁場も多くないですし、寝坊したらもう終わり。そう考えていたら、夜中に何度も目が覚めてしまうこともあります。
――自然を相手にする漁師という仕事は、やっぱり大変なんですね。
毎日、違う表情を見せる海での仕事
――村上さんのSNSを見ると、見とれそうなほどきれいな海の風景が載っていますよね。
『うらにし』の時の晴れ間は、空気がきれいで、突き抜けるような青空になることがあります。『うらにし』というのは、天気がコロコロと変わる丹後の気候のこと。雨や雪が降って止んでを繰り返すんですが、晴れ間が出たときの景色はすごい。僕ら漁師は雲を常に意識しているんです。雲の動きが速いということは、風が強いということ。突風が吹くと船がひっくり返ったりしますし。そうやって意識していると、すごい光景を見ることがあります。
――そういうときは、少し休んでじっくりと眺めてしまったりするんですか?
休まない(笑)。作業中に写真撮ったりしてます。今の時期(12月初旬)は、『けあらし』が起こったらすごくきれいです。朝に海から湯気が上がるような光景なんですが、海の雲海みたいです。あとは、雪になってめちゃくちゃ視界が悪いときに天橋立を眺めると、雪の中に橋立が消えていくように見える。これは写真で撮った覚えはないんですが、印象に残ってますね。
ベストな状態にするために資源管理を
――阿蘇海で、20代の漁師は村上さんだけだと聞きました。
そうですね、僕が飛び抜けて若いです。その次に若いのがうちのオヤジっていうくらいですから。同級生もいないですもんね、この地域に。みんな出て行ってしまいましたから。
――若い漁師が自分以外にいないことはどう思いますか?
特になんとも思わないです。他の漁師のことは興味ない。技術はじいさんから学びましたし、じいさんがやっていなかったことは他の地域の漁師に連絡して、いろいろなところから知識を得ています。技術も経験も、誰にも負けない自信があります。
――新しい知識を身につけて、いろいろな漁法に挑戦するのはなぜでしょうか。
単純に、一つのことでは食っていけないからですね。阿蘇海の環境も昔とは大きく変わってきています。アサリやクロクチといった貝漁が中心だったのが、近年は全く獲れなくなった。だから、魚も獲っていかないと稼げないんです。
実は、阿蘇海でもう一つの貴重な収入源だったハマグリも、2018年から水揚げがガクっと減りました。子どもの頃、父親が山ほど獲っていたのを見てましたから、これはやばいな、と。ここのハマグリはホンハマグリといって、日本でもとても珍しい種類なんです。阿蘇海の貝漁文化を残したいという思いもあって、漁獲量や漁の期間を制限する『資源管理』を他の漁師とともに始めました。
――資源を獲りすぎないようにすることが、次世代の漁業には求められています。
やっぱり、資源を守っていくことが大事だと思います。毎年、漁師が生活できるだけ魚を捕って、資源の量も守られていくのがベスト。僕らは水産物を流通させることが仕事で、それがなくなったら仕事がなくなってしまいますから。
自分が釣った魚に責任をもつということ
――ご自身で獲った魚を食べることもあるんですか?
いや、家ではあんまり食べない。自分の魚を自分で料理するのは嫌なんです。かわいそうで。
――かわいそうっていうのが理由ですか(笑)
僕に料理をされる魚がかわいそうだなって。もちろん、一般の人が買ってくれて、美味いと言ってくれる分にはいいんです。だけど、自分がへたくそな腕でさばいたりするのはすごく嫌。本当は消費者に届くまで、誰にも魚を触ってほしくないくらいです。
――市場の人にもですか?
この前も漁連の職員が、僕が獲った魚を持って落としたことがあったんです。僕が『もって帰ります』と言ったら、『いや、傷付いていないんで大丈夫ですよ』って。いや、自分ら買うんちゃうやろって、怒りそうになりました。生卵を落として黄身はつぶれてるかもしれないけど、外はきれいだから大丈夫って言うようなもんでしょ。買った人が目玉焼きを作ろうとしてるかもしれないのに。僕の魚を買った人が、刺身にしようと思ってたのにできなかったなってなったら最悪じゃないですか。論外やから持って帰るって言っときました。それだけこっちは丁寧にやってるということです。
――すごく消費者目線なんですね。
当然、漁をしているときも消費者のことしか考えていない。というか、それが普通じゃないですか。スズキは1キロ2,000円くらいしますし、ハマグリも高かったら1個800円くらい。ウナギだったら1キロで2万5千円することもあります。それでも、飲食店の料理人は僕の魚を求めて注文をくれるわけですから。そこには当然、責任感を持っています。
――今後の目標はありますか?
これからも、いろんな漁には挑戦してみたいと思っています。今考えているのは、茨城県の霞ヶ浦でやっている漁を応用できないかな、と。阿蘇海と環境が似ていますしね。阿蘇海って外海に比べて全部が特殊で、漁師にとっては都合の悪いことも多いです。でも、そうやって新しい知識を身につけていくことは、とても面白いですね。