#くらす

山に生かされ山に生きる
小さくて大きい上世屋という生き方

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宮津市内でも山深いエリアに位置する世屋地区。その中でも上世屋は、ブナやスギなどの林に囲まれ、冬は2mほどの雪が積もる豪雪地です。
ここでご家族と共に暮らす小山愛生(こやまひでき)さんは、2014年に京都市から移住し、現在は米作りと狩猟をしながら生活しています。今回は、上世屋で育まれる「土地に根差した暮らし」についてお話を伺いました。

土地が育てた「上世屋の働き者」

――こんにちは。この辺りは棚田が広がり、トタンや笹ぶき屋根の古民家があって、古き良き日本の風景が残っていますね。

えぇ、なかには「トトロの森みたい!」なんて言う人もいます。
今、上世屋には、11世帯23人の村人が暮らしていて、そのうち3分の1が代々ここで暮らしてきたネイティブの方々、残りの3分の2が僕らのような移住者です。

たくさんの人が写真を撮りに訪れる世屋姫神社は、ひそかにトトロの森みたいと言われています。

――移住者の割合がそんなに多いんですか!? 小山さんはどんなところに魅かれたんですか?

僕はもともと仕事で宮津に赴任し、上世屋の暮らしを知りました。どこに魅かれたかと言えば、ネイティブの方々の「人としての魅力」でしょうね。例えば田んぼに水を引く際、ゴミが入らないよう水路に柵をするんですが、普通ならホームセンターで適当なものを買ってくるじゃないですか。でも、ここの人たちは落ちている小枝をうまいこと組み立てて柵がわりにするんです。山にあるものを上手に使い切るっていうのかな、そういう姿勢が脈々と受け継がれていることに、この土地に根差した人の魅力を感じました。

上世屋の向こうに見えるのは宮津の海。

――土地に根差した人の魅力? その点について、もう少し詳しく聞かせてください。

この土地で生活する中で育まれる人間性みたいなことですかね。上世屋の人は、よく「働き者」と言われるんですが、それってたぶん、山間部でありながら比較的田んぼが多く、しかも林業もでき、古くから続く「藤織り」という織物業もある、そういう地形や風土が働き者の人柄を作ってきたと思うんですよ。

――地形や風土が、そこで暮らす人の暮らしや人柄に大きな影響を与えるんですね。

上世屋の特徴であるコミュニティの強さも、昔ながらの小さな棚田の影響が大きいでしょうね。田植えの時期になると、ここは山の上から下へ順に水を流すんですが、全ての田んぼが水でつながっている分「うちだけ早めに田植えしたい」なんてことはできません。また棚田は農道が狭く大きな機械で作業しにくいため、どうしたって周囲の助けが必要になってくる。こういう「助け合わざるを得ない環境」だからこそ、現代まで続く強いコミュニティが育まれたんだと思います。

棚田の存在によって、代々村のコミュニティが育まれてきました。

「バイ投げ」を機にジビエの道へ

――上世屋という集落にとって、棚田がそんな大きな役割を果たしているんですね。ということは米作りをしている人が多いんですか?

そうですね、ネイティブの方の多くは米作りで生計を立ててきました。移住者は、紙漉きをしたり、ビールを作ったりといろいろで、うちは春から秋にかけて「チャントセヤファーム」として米を作り、合わせて通年狩猟しながら生活しています。

――農閑期を利用してジビエもしているんですね。狩猟を始めたきっかけは?

積雪地帯に伝わる「バイ投げ」という狩猟方法に出合ったのがきっかけです。冬山で木の枝を投げ、その物音によってウサギを雪穴に誘導し捕まえるというもので、上世屋でも昔から行われてきたんですよ。雪の多い上世屋の気候、ウサギの習性をよく生かしている点に興味を持ち、狩猟免許を取得しました。
移住当初は米作りをベースにしていましたが、2〜3年目に「せっかく狩猟できる環境にいるなら」とジビエ処理施設「上世屋獣肉店」を始めました。農業と狩猟って、ちょうど時期が重ならないから、兼業するには相性が良かったんです。それに今後、移住者を呼ぶにも、ジビエがあれば関心が高まるし、米作りと兼業する人が増えれば、棚田によって育まれたコミュニティを守ることにも繋がりますから。

「上世屋獣肉店」のジビエ処理施設は山の上にひっそりと佇んでいました。

――どんな動物を狩猟しているんですか?

今は野生の鹿がメインで、檻を仕掛けて捕まえ、仕留めた後は専用の施設で処理しています。京阪神の料理店に出荷することが多いですが、この春から「宮津まごころ市」でも販売するようになりました。

迷いない手捌きで切り分けていく小山さん。

山の恵みは「その年のその土地の表現」

――宮津市民も気軽に購入できるようになったんですね

はい。上世屋は、雪が多く植林が少ない分、ブナやクリが多く、どんぐりが豊富です。動物にとって十分な食料が揃っているので、とても肉質がいいんです。

――小山さんのように普段から狩猟で生身の動物を見ていると「食べる=生き物の命をいただく」という感謝が強くなるのでは?

こういう仕事をしていると、よくそういう質問を受けます。もちろんシカには感謝していますし、命をいただくという感覚もありますが、僕の場合、もっと自然な感じで捉えていて。人間を含め動物は、植物のように光合成ができない分、何かを犠牲にしないと栄養を得ることができません。だから、命をいただくのは動物として当然のこと。むしろ山に対する感謝の方が強くて、軽トラにシカを積んで帰る道中「山が育んだシカ肉のおかげで、自分は生活しているんだ」という気持ちがものすごく湧いてくるんです。大きな自然の一部として、人間や動物が生かされていることを実感します。

――シカ 対 人間ではなく、もっと大きな視点で捉えているんですね。

その一方で、消費者にどう届けるかも大事なことで、あぁだこうだ言葉で説明するより、まず、ここで育ったジビエを味わい、上世屋という土地を感じてもらうことが僕の役目だと思っています。
と言っても、餌をやって飼育する家畜と違い、ジビエにおいて人間が関与できることなんて、仕止めて処理するくらいのことです。全て山が育ててくれたものをいただくんですから、料理人さんから「もっと脂がのった肉がほしい」と言われても無理な話。その時獲れた肉が、その年のその土地の表現なんです。

――山の恵みって、人間がどうこうできるものではないので、本当に「その年のその土地の表現」という言葉がしっくりきますね。その考え方はいつ頃芽生えたんですか?

ここで暮らす中で自ずと身についたんでしょうね。さっき「土地の風土が人柄に影響する」と言いましたが、当然僕も上世屋という土地、コミュニティの影響を受けているわけで、徐々にこの土地にフィットした考え方になってきたということでしょう。僕としては嬉しい限りです。

上世屋を上世屋として受け継ぐために

――小山さんの他にも、上世屋で狩猟している人はいるんですか?

去年から、うちのスタッフとして働いてくれている男性がいて、彼が「チャントセヤファーム」と「上世屋獣肉店」を手伝ってくれています。
今までは移住者が自分で仕事を見つけていたんですが、今後は、農業や狩猟で働ける選択肢があった方が入ってきやすいだろうと思ってこういう形をとりました。

――移住の取り組みにも力を入れているんですね。

はい、村の中でドチャック会議(上世屋定住促進協議会)という集まりを作り、そこで「セヤハウス」というお試し移住の建物を運営したり、「小さく生きてきた。」というWEBサイトを作って村の紹介をしたりしています。
よく言われることですが、上世屋は雪深く、コミュニティも非常に強い地域で、誰でも住める場所ではありません。でもその反面「一度住んだら離れられない」という人もいて、たぶんそういう人しか住めない場所なんです。
移住者には、上世屋の暮らしや文化、村人のことを知ってもらい、自身が思い描く田舎暮らしとギャップの少ない方に定住してもらえればと思っています。

この日の取材は、セヤハウスでさせていただきました。

――上世屋に移住するには、どういうことが大切ですか?

村人によって思いはさまざまでしょうが、僕としては、代々この風土の中でたくましく生きてきたネイティブの方々をリスペクトできること。また、ここで受け継がれてきた独自の文化に興味を持ち土着できるかどうかでしょうね。それを無視して「自分は自分だから」という考え方だけでは、この土地では通用しません。

――上世屋いう土地や、ここで紡がれてきた生活をすごくリスペクトされているんですね。

そうですね、ただ今後ネイティブの方たちがどんどんお年を召して、そのうち移住者がこの村の中心を担う日がやってきます。その時に向けてどうすべきか、この数年ずっと考えていて。僕としては、ここで育まれたコミュニティや暮らしを受け継いでいきたいですが、このまま就農者が減ったら、今までのように、米作りを通して自然とコミュニティが維持されるというかたちは難しくなっていくでしょう。
ただ、集落自体、時代と共に変化してきた部分もあるはずですから、その都度村人同士で話し合い、この村の根幹となる部分、例えるなら木の「幹」となるものを見つけ、その部分だけは守っていくことができればいいなと思います。

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